現在ドラマ『トリリオンゲーム』に出演中の吉川晃司さん。
吉川晃司さんと言えば、数々の伝説で有名ですよね。
すでにタダ者ではないことは明らかですが、なんと先祖までタダ者ではないのだとか!
というのも、吉川晃司さんの生い立ちを辿っていくと、とんでもない一族に辿り着くのだそうです。
一体どんな一族で、家系図や家紋はどうなっているのでしょうか?
そこで、吉川晃司の生い立ちや、すごい一族を調査!
先祖の家系図や家紋まで、詳しく見ていきましょう!
吉川晃司の生い立ち辿ったら一族が凄かった!
吉川晃司さんと言えば、「ワイルドなイケおじ」というイメージでしょうか。
まさに大物、という感じ。
そんな吉川晃司さんの生い立ちを調査したところ、すごい一族にたどり着くのだそうです!
やはり大物は、先祖の格まで違うのか…。
一体どんな一族なのか、気になりますよね!
ということでまずは、吉川晃司さんの生い立ちから、先祖の一族までを調査していきます!
吉川晃司の生い立ちを辿ってみた
吉川晃司さんのご実家は、料亭・吉川旅館です。
広島の原爆ドームの近くにある繁華街で、祖母が経営していました。
吉川晃司さんの父が8歳の頃、戦況の悪化で原爆投下の1ヶ月前に疎開。
父は元俳優ですが、家業の吉川旅館を継ぐために板前になりました。
しかし旅館は廃業し、様々な職を転々としたようです。
続いて、吉川晃司さんの生い立ちを見ていきます。
- 広島県安芸郡府中市で生まれる
- 中高一貫の進学校に入学
- 高校時代にロックバンドに加入
- 地元ではかなり有名なバンドに
- 高校2年のとき、佐野元春のライブがきっかけで歌手を目指す
- 渡辺プロに自分を売り込み契約、デビューのために高校中退し上京
- 1984年『モニカ』、映画『すかぴんウォーク』で歌手・俳優デビュー
学生時代から水球で世界大会に出場したり、バンドもかなり有名になったり。
さらにこれでは満足せず、歌手になるために自分を売り込むってすごいですよね(笑)
しかも芸能界に入ることを、家族には猛反発されていたんだそうです。
その反対を押し切り状況した吉川晃司さんは、今や国民的ロックスター。
そして、俳優として現在も活躍しています。
やはり吉川晃司さんはタダ者ではないです!
吉川晃司の凄い一族とは?
吉川晃司さんがタダ者ではないということは、言わずもがなですが…。
この凄い生い立ちを、さらにさらに辿っていくと、凄い一族に辿りつくのだそうです!
その一族はなんと、吉川家。
いや、そのままやないかーいと思いましたよね(笑)
しかし、吉川晃司さんの先祖である吉川元春(もとはる)はもともと毛利家。
この吉川元春は、母の実家である吉川家の養子に入り、吉川を名乗るようになったのです。
では、さっそく本題です!
吉川家と聞いても、何がすごいのかピンとこない方も多いかと思います。
ということで、吉川晃司さんの一族である吉川家の凄いポイントをまとめてみました。
- 元の血筋である毛利元就(もとなり)は、一代で8国の大大名に出世した
- 毛利元就の次男である吉川元春は、人生で一度も戦に敗れたことがないと言われている(不敗伝説)
- 吉川元春の三男、吉川広家(ひろいえ)が関ヶ原の戦いで徳川家康を勝利させ毛利家を守る
簡単にまとめましたが、すごいですよね?!
このように、戦国時代に活躍していた吉川家。
吉川家は毛利家の一族で、毛利家を発展させるために尽くしてきました。
そして、吉川晃司さんは不敗伝説を持つ武将・吉川元春の末裔だと言われていのです!
か、かっこいい~!
自分の先祖が何者かなんて、気にしたことがないですが…。
吉川晃司さんの一族を調査していたら、私の先祖まで気になってしまいました(笑)
吉川司の先祖の家系図や家紋まとめてみた
吉川晃司さんの先祖が、戦国時代に活躍していた吉川家だと言うことが分かりました。
先ほど申し上げましたが、吉川家の元の血筋は毛利家です。
この時代って、家系図が何だか複雑なんですよね(笑)
なんとも分かりにくいのですが…。
そんな複雑な家系図について、分かりやすく解説していきます!
さらに、吉川家の家紋も気になる!
家紋はいくつかあるようなのですが…。
ということで、家紋も調べていきましょう。
吉川晃司の先祖吉川元春の家系図を調査!
こちらが毛利家の一族、吉川家の家系図です!
ちょっと…と言うか、かなり細かくて分かりづらいのですが(笑)
毛利家と吉川家の家系図を入手したので、分かりやすく解説していきます。
- 吉川晃司の先祖は、吉川元春
- 吉川元春は、戦国時代の武将・毛利元就の次男
- 毛利家に生まれたが、母の従兄である吉川興経(おきつね)の養子になったことで吉川を名乗ることに
- 長男の隆元(たかもと)は毛利を名乗り、三男の隆景(たかかげ)は竹原小早川を継承した
- 次男・元春と三男・隆景は「毛利両川」として、毛利家の発展に尽くした
ここもまた簡単にまとめてしまいましたが(汗)
なぜ親子や兄弟で名前が違うのか、ということが分かりましたね!
戦国時代の武将である、毛利家の毛利元就。
この毛利元就の次男として誕生したのが、吉川晃司さんの先祖に当たる吉川元春です。
吉川家は毛利家の一族で、毛利家の発展に尽くしていました。
さらに、吉川元春の三男・吉川広家は、父や兄の死後毛利家を守るために戦っています。
もし、元春が養子に入っていなければ、毛利家も吉川家も生き残ることはできなかったのではないでしょうか。
吉川晃司の先祖吉川家の家紋は?
吉川晃司さんの先祖、吉川元春の家紋を見ていきます!
調査を進めていると、2つの家紋が出できました。
- 丸に三つ引き両紋(まるにみつひきりょうもん)
- 輪九曜(りんくよう)
文字だけ見ても、全然分からないですよね(汗)
ということで、1つずつ画像付きで解説していきます!
1.丸に三つ引き両紋
出典:X(旧Twitter)
1つ目は「丸に三つ引き両紋(まるにみつひきりょうもん)」です。
名前の通り、丸に3本の線が入っています。
この家紋は、吉川晃司さんの先祖・吉川元春が使っていた家紋。
由来はいまだに解明されていないようですが、いくつかの仮説があるようです。
- 1本の線は龍を表しており、龍が縁起を担ぐという意味
- 先祖が朝鮮から三度盃を頂いたことが由来
この他にも仮説はあるようですが、この二つの説が有力だと言われているようです。
2.輪九曜
出典:X(旧Twitter)
2つ目は「輪九曜(りんくよう)」です。
九曜紋(くようもん)との違いは、真ん中に穴が空いていること。
これは吉川晃司さんの先祖である、吉川元春の三男・吉川広家が使っていた家紋です。
当時吉川広家は、岩国の土地を治めていました。
蓮根を収穫した際、この家紋と似ていることから特産品として、岩国蓮根を栽培するようになったのだそうです。
ちなみに普通の蓮根は穴が8個で、岩国蓮根は穴が9個。
家紋と同じ数の穴が空いているなんて、まさに奇跡ですよね。
まとめ
ここまで、吉川晃司の生い立ちや、すごい一族を調査!
先祖の家系図や家紋まで、詳しく見てきました。
生い立ちを振り返っただけでも、タダ者じゃないということは分かりますが(笑)
まさか吉川晃司さんの先祖が、戦国時代に活躍していた武将の一族だったとは…!
家系図を見たときは、何がどうなっているのやらでしたが(笑)
吉川の名が現代まで受け継がれているのは、間違いなく吉川元春の活躍によるものだと言えるでしょう。
さらに家紋も調査しましたが、同じ吉川家でも時代によって家紋は変わっていくのですね!
とっても勉強になりました!
数々の伝説を残してきた吉川晃司さん。
先祖も数々の伝説を残した、素晴らしい武将でした!
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